【7. 単位修得と卒業編】新聞奨学生の闇?きつい?やばい?自力で大学へ通ってみた。

2023年2月24日金曜日

お父さんの思い出

t f B! P L
ふり返るあの頃「新聞奨学生」


新聞奨学生で進学するのは無謀なのか?

ちゃんと卒業できるのか?

実際どうだったか振り返ってみる。

続・二〇世紀末頃の新聞奨学生事情。


につづく。

こんな人にオススメ

    新聞奨学生で

  • 単位修得できるかな?
  • 卒業できるかな?
  • 進学ってありなの?

単位の修得状況と進退

ドキドキの配属から、それはそれは濃密な時が流れ、あっという間に1年が過ぎる。

振り返ると、2、3年にも感じるほどの濃度だ。

そんな濃密な1年間を共に働く新聞奨学生仲間たちだったが、意外にも、大学の進捗、進退となると、あまり互いのことを知らなかった。

当たり前だが、販売店や新聞社には、その学生の大学の進捗まで面倒をみる義務は


無い。


時折、所長や主任が、

「ちゃんと大学行ってるのか?」とか、

「単位とれてるのか?」など、

ありがたくも心配してくださることはある。

が、あくまで大学の進捗、進退は学生の自己責任だ。

ボクの販売所では、日々の生活(業務)の中で、学生同士が互いに大学の進捗に触れ合うこともあまりなかったため、1年が経ち、各々が決断する進路によって、はじめて互いの状況を知ることになったりする。

それまで同じように仕事と学業の両立に取り組んできた仲間も、年度末には、それぞれの事情に合わせて、それぞれの道を歩むことになる。

単位修得の困難さ

ちゃんと講義に出て、レポートを出して、試験で点数が取れれば、単位は修得できるだろう。

だが、仮にボクが普通の大学生であったとしても、そんなに優秀ではなかったので、簡単に修得できるとは言えない。。

そんな、ただでさえある程度高さのあるハードルに、朝/夕刊配達、集金、拡張など、フルパートの仕事に従事しながら挑むため、単位を修得するのに、通常の数倍の苦労が伴う。

いわば、重い亀の甲羅を背負って修行しているようなものである。

そんな過酷な当時の状況を思い出してみると、残念ながら、単位は思うように修得でいないことが多かったように思う。

4限の講義を取れる機会が限られていたり、新聞奨学生のシステム上、どうしても修得に遅れが出る部分も否めなかったが、結局、単位修得遅れの一番の要因は、朝刊配達後の睡魔に負ける事だ。

恐ろしいことに、ボクが4年間で修得できた単位は、修得予定だった単位のおよそ半分でしかなかった。。

このペースだと単純に、あと4年かかるという状況だった。

そんな状況で、5年目以降どーすんのよ!?

ということになるのだが、それには別の機会で触れようと思う。

ともかく、計画通りに単位を修得することは、個人差はあるにせよ、なかなかの困難が伴う。

新聞奨学生は無謀?

それぞれの状況において、来年度こそは!と、決意も新たにスタートするのが年度末。

しかし、必ずしも皆がそうではなかったようだ。

既に卒業を諦めているが、在学期間中は新聞奨学生を続ける者。

大学が期待外れで、キッパリ1年で中退し、新聞奨学生を辞める者。

中退して新聞奨学生を辞めても、身の振り方が決まるまで、そのまま本職の新聞屋さんになる者。

ここまでくると、新聞奨学生としては完全に挫折した、と言わざるを得ないが、それがイコール人生の挫折かといえば、決してそんなことは無い。

大学生と新聞屋。

本来同時には行わないことを、同時にしようと言うのだから、無謀か?と言われれば、そういう側面もあることは否定できない。

それでも、新聞奨学生をやらなければ良かった。

とは、ならないかと思う。

というのも、このような道を歩んだ当時の友人達も、その後、それぞれ社会で必要とされる人間に成長している。

新聞奨学生として大学へ進学を試みたことは、大きな挑戦であり、全力で挑んだ結果であれば、卒業だろうが、中退だろうが、その後の人生をより良くする、他では手に入らない貴重な経験や鍛えが確実にある。

ぶっちゃけ、ボクの場合、大学で学び得た事よりも、新聞奨学生として学び得た事の方が、その後の人生を支える大きな支柱となっている。

とは言え、とても大変なので、「大学を卒業する」という観点では、あまりオススメできない点も否めないが、進学するのに他に手はないという人には、

迷わず行けよ行けばわかるさ
(by アントニオ猪木氏)

と言いたい。

新聞奨学生で卒業する方法

安心して下さい。卒業できますよ。

ここまで自身の体験も踏まえ、思い通りに単位を修得できないケースを先に話してしまったが、もちろん、そんなケースばかりではない。

当然ながら、ちゃんと計画通りに卒業している新聞奨学生もいる。


新聞奨学生 = 卒業できない


では、
断じて無い。

比較的学費の高くない文系の大学であれば、1,2年ほど新聞奨学生を続ければ、次年度以降の学費が貯まり、3年目以降は普通の学生となって学業に専念することもできた。

フルコースの業務がキツければ、配達のみのコースにするなど、貰える奨学金を抑えて、学業に比重を置くなども可能だ。

また、当時、新聞奨学生で理系大学は厳しい(過酷)と言われていたが、多少多く時間はかかるものの、計画通りに単位を修得し、卒業していった先輩もいる。

自身の状況に合わせて、学業との両立を可能にする調整は、ある程度は可能かと思う。
しかし、個人的には、朝刊配達の後、睡魔に負けないことも大きいと思う。

もしあの頃のボクに呼びかけるとするならば、


寝るな!

寝たら単位落とすぞ!


と言って、
毎朝、往復ビンタをくらわしてやりたい。

しかし、そんなことはできないので、せめてアドバイスを贈るとするならば。。。

睡魔に負けそうなその瞬間に、

「新聞奨学生で大変だから」

と、自身が置かれた状況や、環境のせいにして、どこか

「仕方がない」

と思ってしまっている節が、自身の心に1ミリでも

あるのか?

ないのか?

もし、あるのであれば、その

「何かのせいにして、負けることを正当化している弱い心」

を徹底して排していくことだ。

それができれば、あとは「何のために」こんなことをしているのか思い出せばいい。

自身の目標や、新聞奨学生として進学を志した理由を、思い出すことだ。

ここに、新聞奨学生として最大の急所を乗り越えるためのカギがある。

と、ボクは思う。

そしてこれは、新聞奨学生に限らず、人生一般に言えることだ。

波乱の幕開け

そんなわけで、年度末には別れがあり、出会いがある。

ボクが新聞奨学生として3年目を迎えた時、卒業や新聞奨学生を辞める学生が多く、実に半数の学生が販売所を去り、その代わりの新人が入ってきた。

販売所としては、仕事のできる学生には極力長く働いてもらいたい。
しかし、そこは学生。卒業や中退、大学の進退によっては、販売所を去って行ってしまう。

去った学生の穴埋めは新人で補う。

しかし、これまでの記事でも書いたが、新人に恵まれないと、その余波はその後一年に渡り、学生たちはもとより、従業員を苦しめることになる。

ある年の新人くんが、すこぶる新聞配達に向いていなかったのか、なかなか順路を覚えられず。。

かと言って、必死に覚えようとする気概も無く。。

皆で頭を抱えていた。

そろそろ4月に入り、大学が始まるため、休みのシフトも決めなければいけないという状況で、

ネェさん、事件です。

新人くん、前方不注意で事故る。

これを期に、もう続けられないと親に泣きついたのか、親がやってきて彼を連れて帰ってしまった。

なんの謝罪の言葉もなく。。

さらに、後日判ったのだが、その新人くんが、とある感染病に感染していたことが判明。

全員が定期的に、検査を受けなければいけない事態に。

幸い、誰も感染してはいなかったが、問題は、従業員が一人足りないという状況。

まさに、踏んだり蹴ったりといった状況だ。

もはや人を選んでる余裕は無く、現住所が公園というホームレスのオッサンが雇われることになった。

しかし、様々な伝説を残して1ヶ月でクビに。

その後やってきたのは、無断欠勤やら黒い噂のある男。こいつも3ヶ月くらいで失踪。

(これらのエピソードの詳細は、コチラ

新聞販売所には、良くも悪くも様々な境遇、素性の人間が集まってきたが、なかなかモノになる人材は現れなかった。

新人が1人欠けたこの時期から、この販売所の運命、いや、ボクの運命は、加速度的に悲劇の様相を呈してきた。



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プロフィール

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40代、二児の父親です。 北国育ちで在住。寒いけど冬が美しいので北国が好きです。 思い出や、日常に思ったことを書き留め、それが誰かの何かの足しになったら、こんなボクの人生にも意味があったというもの。 「クスッ」としてもらえたら幸いです。

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