【2. 見習い編】新聞奨学生で、自力で大学へ通ってみた

2022年9月26日月曜日

お父さんの思い出

t f B! P L
ふり返るあの頃「新聞奨学生」

親の経済力を当てにせずとも、大学進学はできる。

働き学ぶ新聞奨学生は、いばらの道。

新聞奨学生で大学を卒業するには?

配属直後のバタバタの中、先輩から教わった

新聞奨学生で大学を卒業するための極意とは!?

から続く。


この記事でわかること
  • 新聞奨学生の1日
  • 新聞奨学生で大学を卒業するには

朝刊配達

「ンモォ〜〜〜! イっしょうネてろっ」

牛の姿をした愛用の目覚まし時計が騒ぎ立てる。

「ンモォ〜〜〜! イっしょうネ」

ばちぃっ!

目覚まし時計を仕留める。

それから数分の時が流れた。



「ぷるるるるるるるる!」



目覚まし時計を遥かに上回る爆音が、販売所の居住スペース全域に鳴り響く。

「ガバッ! な、ななな、何事!?」

飛び起きて、しばしパニックに陥る。

「オキロー!」

廊下のインターホンから主任の怒声が。。

インターホンは、一階の販売所から繋がっている。

ようやく事態を飲み込む。寝坊した。
布団から飛び起き、服を着て、階段を駆け下り、必死の形相で販売所へ駆け込む。


「す、スミマセン!寝坊しました!」


主任とサヤカさんがこちらを見ている。


「…大丈夫か? 顔、青白いぞ。」


初日から叱られ、何やら心配までされている。

時計をみると2時10分。

すでにイシダ先輩が新聞をバイクに積んでいる。

「先輩の仕事をみとけ」

主任に促され、邪魔にならないように見学する。

「ひゃっひゃっひゃ、おめぇよぉ、初日から寝坊かよ〜。スゲェな」

作業しながら、目を合わさずに嫌味を放たれる。

悔しい。。

イシダ先輩は、学生の中でも1番早く出勤してくるのだが、出勤時間はみんなバラバラである。
朝の流ればざっとこうだ。

朝刊は、午前1時くらいに販売所に届く。

配達は5時半、遅くても6時までには終わらせなければならない。

一人が担当する配達部数は150〜300部程度。
この地域では、一軒一軒が離れているので部数の割に時間がかかる。

所要時間は配達区域にもよるが、概ねバイクで1.5~2時間。かかっても2.5時間程度であった。

そして、全員が同時に出勤して作業できるほど、販売所は広くない。この為、作業時の混雑回避や、各々の配達時間を考慮した、時間差出勤となっているのだ。

朝刊では新聞に折り込みチラシを組み込む作業もある。

もし雨天であれば、ビニール包装など、雨天向けの準備もあり、事前準備に普段よりも時間がかかる。

こういった場合には、後続の学生が作業場所が空くのを待つケースもあった。

先輩たちは一人、また一人と順に出勤してきて、慌ただしく準備をし、あっという間に配達に出ていった。

全員が配達に出てしまうと、販売所は静けさに包まれる。

仕事を教わりながら、先輩達の帰還を待つ。

徐々に空が明るくなり、夜が明けてくる。

午前5時を過ぎた頃、配達を終えた先輩達が戻り始める。
5時半~6時までには、全員が帰還した。

この販売所では、朝食と夕食を用意してくれており、朝刊配達を終えると、6時にはみんなで朝食をとる。
こうして、だいたい7時までには朝食を終え、各自部屋に戻る。

午前2時に叩き起こされ、緊張の連続だったボクは、そのまま布団に不時着。そして爆睡。。

これが、新聞屋の朝だ。

これが、これからの日常なのだ。。

新聞奨学生の1日

初日だからというわけではなく、この先もず~っと、新聞屋さんである限り、朝刊配達後は睡魔との戦いである。

普通の新聞屋さんであれば、朝刊配達後は昼まで寝る。それで良いのかもしれない。

しかし、ボクらは新聞奨学生である。大学が始まれば、一限目(8時半)に間に合うように通学しなければならない。

新聞奨学生の1日は、ザックリとこうだ。
(ボクの場合)

22時〜0時の間で 就寝。

3時 起床。

3時半〜5時半 朝刊配達。

6時〜7時 朝食

7時〜8時 魔の時間

8時〜8時半 通学

8時半〜14時 一〜三限を受講

14時〜14時半 速攻で帰宅
※四限を受講する日は、夕刊休みを取る。

14時半〜16時 夕刊配達

18時 夕食

19時 帰宅(自室に戻る)

19時〜23時 勉強など

これは、配達しかない比較的余裕のある日のタイムスケジュールだが、集金やセールスがある繁忙期だと、帰宅は21時を過ぎることもあった。

これが新聞奨学生フルコースの日常である。夜の睡眠時間は日によって、2時間や3時間の場合もあった。

自由な時間がほとんど無いことはもとより、ここで特筆したいのは、朝食後の「魔の時間」である。

この僅かな時間に、寝るのか、寝ないのか。
寝たとしても起きられるのか、起きられないのか。どうなんだい?

これが、新聞奨学生として仕事と学業を両立できるかどうかを決定づける、極めて重要な勝負点であった。

多くの仲間たちが、この魔の時間に討ち死にしていく姿を目の当たりにした。
なんならボクもだいぶヤラレタ。

「あ〜。通学用のバイクがある。アイツ学校行ってねーなー」

などと、
日中店先に出てきた所長に心配されながら、みるみる修得予定の単位を落としていくのである。

ともあれ、このタイトな過密スケジュールの中、大学生活を両立させることが求められた。

それはそれは過酷で濃密なのである。

新聞奨学生の極意

同じ販売所のヒデ先輩は、なんとボクと同じ大学に通っている。

その日は、夕刊配達前の時間を利用して、販売所の軽ワゴンを借り、大学まで案内してくれた。

車中、様々お話しする中で、ボクは気になっていることをズバリ聞いてみた。

「あのぉ~、四年で大学卒業できますかね?」

すると、ヒデ先輩は、力強く即答してくれた。


無理! 絶対無理!


ドー

厳しい現実を叩きつけられ、

ただただ受け止めるしかなかった。

では、それはなぜか。

当然、個人の努力次第であり、不可能は無いはず。配属される販売所や、通う大学などの諸条件にもよるので、一般論ではない。

しかし、ボクが配属された販売所の場合、配達を担っているのがほぼ全員学生であった。この為、四限受講のために夕刊休みを取れるのは、一人につき週一回が限度だった。

学生たちは基本、休みを四限の受講日に充てる。そして学生が休みの時は、その学生の担当区域を主任が代配(代わりに配る)してくれるのだ。

主任は全区域をマスターしているが、同時に複数の区域を配れたりはしない。みんなで好きなだけ夕刊休みを取ってしまうと、配達が成り立たないのだ。

即ち、夕刊配達がある限り、その年受講できる四限の講義は一つということ。

取れなかった講義は翌年など、別のタイミングで履修しなければならず、普通の学生よりも単位の取得に時間がかかってしまう。

かく言うヒデ先輩も、実は来年度で5年次。
5年目で後回しになっていた単位を取り切り、一年遅れで卒業を目指していた。

「あと一年で卒業なんですね!ボクも5年以内で卒業できるかな。。」

などと不安を吐露すると、ヒデ先輩は力強くこう言った。


「朝刊配達のあと、
 寝なければ大丈夫!👍


これが、新聞奨学生5年目を迎える先輩が悟った極意であった。

「魔の時間」を制するもの、新聞奨学生を制す。

と言っても過言では無いくらい、この時間がヤバい。

もちろん、ここだけを乗り越えれば万事OKというわけではない。

大学で学ぶことに、強く明確な目的意識が無ければ、いとも簡単に流されてしまう厳しさが、新聞奨学生生活のそこかしこにある。

免許が無い

バイクが好きな人なら、高校生のうちに原付免許を取る人もいたが、ボクはそうではなかった。

同期のサヤカさんはバイク好きでは無いが、新聞奨学生になることを早めに決めていたようで、事前に取得済みだった。

さすがだ。。

販売所によっては自転車で配れる地域もあるようだが、配属先が決まるまで、バイクで配るのか、自転車で配るのか、それは判らないのである。

原付免許の有無は、新聞社に事前に報告していたと記憶しているが、参考程度なのだろう、顔合わせの時に所長からサラッと

「うちはバイクで配るので、原付免許を取ってもらうから」

と言われた。

時は待ってくれない。大学の入学式が迫る。

早く乗り方を覚えて、配達順路を覚えないといけないのに、原付免許を取得するまで、それらが何一つできない。

原付免許を取得するまで、それはそれは肩身が狭かった。業務に支障をきたすため、一発合格が義務付けられていた。

日々、もの凄いプレッシャーの中、原付免許の試験対策本を読み、ドリルに励んだ。

原付免許の試験は筆記のみで実技は無い。なので対策としては、ひたすら問題集を解いて、満点を取れるようになればいい。

要は、手を抜かずちゃんと勉強していけば、ほぼほぼ落ちることはないのである。

しかし、それがまたプレッシャーでもある。

こうして、先輩たちからの日々のプレッシャーに煽られ、一切手を抜けない状況で問題集に取り組み、全てをやりきって迎えた運命の受験日。

ゲッソリ😱

なんとか、一発合格を果たしたのであった。
これでやっとスタートラインである。

カブを乗りこなせ

配達に使用するのは、ホンダのスーパーカブ。

免許を取得したとはいえ、いきなり公道に躍り出るのは危ない。

ということで、まずは、教習所の貸しコースで、練習することになった。

スタンドの立て方、あげ方や、倒れた状態からの起こし方など、バイクの扱いの基本に始まり、軸足を地面につけた状態でのクイックターンなど、配達を効率化する技なども伝授された。

主任曰く、自分の手足のようにカブを使いこなせる様になれと。
また、オイル交換やパンク修理、バイクのメンテナンス全般も自分で出来るようになれと。

スーパーカブのエンジンはキック式で、変速機はロータリーだった。
運転の肝となる変則の練習をする。

ブーン(1速) ガチャ(シフトアップ) 

ブーン(2速) ガチャ(シフトアップ)

ブーン(3速) ガチャ(シフトアップ)

高速ギアほど、エンジン音は小さくなる。

教習所のコースでは運転にも慣れてきて、心地よいスピードに酔いしれる。

調子に乗っていると、3速に入れたことを忘れた。

2速と誤解して、更なるシフトアップ操作

ガチャ(シフトアップ) 

ウーーーーーーーーン

ギアがニュートラルになってしまい、エンジンが空回りする音がして焦る

「あ、やべ!」

パニックに陥り、そのまま、間違って更なるシフトアップ。

ガチャ(シフトアップ)

ガックン
ヴァアアアァァァン!!

高速で走行中に1速に入れると、急減速&エンジンが爆音を放つ。

危険だわ、エンジン痛めるわ、デカい音が炸裂するわで、めちゃくちゃ恥ずかしいヤツ。

これが、ロータリー式あるあるである。

教習所である程度乗れるようになり、いよいよ帰りは公道を走って帰ることに。

恐る恐る車道に出る。

人生で初めて、他の車と一緒に車道を走った。

緊張しすぎて、初めて補助なし自転車に乗れた時の気分がフラッシュバック。


あれ?

なぜだろう?

目の前から車が来る。



ヘッドライトが眩しい。。



「危ねー!!
 なに右車線走ってんだよっ」



主任の声に慌てて左に寄る。

危うく、配達を覚える前に、天に召されるところだった。

運転に一抹の不安を覚えながらも、

いよいよ配達に挑む。

つづく

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プロフィール

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40代、二児の父親です。 北国育ちで在住。寒いけど冬が美しいので北国が好きです。 思い出や、日常に思ったことを書き留め、それが誰かの何かの足しになったら、こんなボクの人生にも意味があったというもの。 「クスッ」としてもらえたら幸いです。

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