続・二〇世紀末頃の新聞奨学生事情。
バイクに乗れるようになり、いよいよ配達へくり出す。
しかし、新聞屋さんの仕事は配達だけではない。
並行して様々な業務を叩き込まれていく。
新聞屋さんの業務に迫る。
から続く。
この記事で判ること
- 配達ってどんな?
- 意外と大変な集金業務
- 笑えないセールスマン
- 折り込み広告の真実
配達順路を巡る
原付免許を取得して、粗方バイクの乗り方も覚えたところで、いよいよ配達順路を覚える。
出発を前に、主任がなにやら台帳の様なモノを手渡してきた。
「順路帳」だ。
ページをめくると、1ページに5軒ずつ契約者名と新聞の銘柄が書かれている。
一軒のスペースが広くとられており、ここに何か書き込めるようだ。
「これから配達順路を回るから、後で一人でも回れるように、一軒毎に順路記号を書いておけ」
と、
主任はボクに台帳の他のページを開いてみるように促す。
順路記号?
他のページをめくると、なにやら記号が書かれている箇所がチラホラあった。
「T」や「十」の進行方向に矢印が付いた記号など、矢印系の記号の意味は何となく解った。
しかし、
「ト」
「|3」
「ハム」
とかは、まったくもって意味不明だった。
主任の説明によるとそれぞれ、
「隣」
「右3軒目」
「斜向かい」
という意味なのだそうな。
ひとつ前の配達先からの道順が、これらの記号を駆使して表現されているのだ。
慣れてくると、月初の新しく入るお客様の分だけの記載となるが、きちんと順路を覚えるまでは、全軒記載することになる。
というわけで、順路帳と赤ペンを持って、いざ順路回りへ。
一軒一軒、ポストの位置や、新聞の入れ方、ここは何時までに入れるかなど、主任の丁寧な説明を受け、順路帳が赤く染まっていく。
順路の後半に差し掛かったころ、目の前に小さな峠が。
配達経路に峠って。。。と驚いていると、
峠を見上げながら、主任がおもむろにつぶやく。
「ここ、3番目のカーブに…、出るから気をつけろ」
そういうと、主任はアクセルをふかし峠に向かって行っていった。
え!?なな、なんすか!?
慌てて追いかける。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
3つ目のカーブに差し掛かった。
道の脇はずっと草木が生い茂った山肌でしかなく、特に何かが出てくることは無かった。
峠の上の団地を回るときに、何も見なかったことを告げると、主任は「ニヤッ」っと笑って、そのまま峠を降りていった。
え。。。!?
なんなん?
あとで他の先輩に聞いてみると、
峠の3番目のカーブの件は、この区域の配達を受け継いだ配達員に、代々語り継がれており、これまで全ての配達員が、「何か」を目撃しているのだそうな。。
しかし、それが「何か」は、自分の目で確かめろということで、口伝されていない。
またまたご冗談を〜程度に思っていたが、そんなボクが3番目のカーブで一体何を目撃することになったのか、それは後日改めて紹介したいと思う。
峠を降りたあとは、山沿いの民家が多く、アップダウンが激しい。ようやく配達も最後の方に差し掛かった頃、理不尽な条件を告げられた。
「この家、5時までに入れて。
遅いと電話かかってきちゃうから」
なにー!?
最後の方ですけどココ。
それなのに5時まで?
「3時半までに配達に出れば余裕で間に合うよ。」
うっ。。
これで午前3時出勤が、ほぼ確定である。。
こうして初回の順路周りを終え、販売所に戻る。
その後も、不安が無くなるまで、2周、3周と一人で周るのだが、流石に100軒以上もの配達先を1日で丸暗記できるわけもない。
あとは順路帳を見ながら、実際に配達を繰り返す中で、身体で覚えて行くのだ。
ちなみに、配達を極めてくると、良くも悪くも、無意識に配れるレベルに到達する。
はっ!?
ここまでの数軒、記憶がない。。
何を配ったか全く覚えてない。。
なんて時がある。
そんな時は、焦って引き返して確認するのだが、恐ろしいことに、全ての配達先に正しい銘柄の新聞がポストインされているのだ。
いったい誰が?
いや、自分以外の誰人でもないのだが、
全く身に覚えが無いので、自分でも毎度驚く。
きっと、身体は起きているが、頭は寝ている状態なのかもしれない。よくわからないが、事故る可能性があるので危ない。。
気を失っても闘う武闘家のようになってはいけない。
だって人間だもの
新聞が破れたり濡れたりした場合に備えて、予備として1部余計に積んで配達に出る。
なので配達後には、各紙1部余るのが正解。
最後の配達先に新聞を届け、新聞の余り部数を確認すると、なななんと、2部!?
1部多い。
何度数えても、
やっばり1部多い。
あれ?予備2部もってきたっけ?
認めたくないが、配達を誤った現実からは逃れられない。
とてもイヤな瞬間だ。
配達に不慣れで、片手に順路帳を持って配っているうちは起こりにくいのだが、慣れてくると、たまにどうしてもヤラかすのが、不着、誤配。
不着は、ただの配り忘れ。
誤配は、間違った新聞を配ってしまうこと。
ここの販売所では、本紙と地方紙、そして、スポーツ新聞を複数取り扱っているのて、それらを間違えて配達してしまうことがあるのだ。
いずれにしても、こういう時は、
静かに目を閉じて、胸に手を当てる。
そして、それまでの配達の来し方を振り返る。
不着は、その配達先をすっ飛ばした記憶が残ってたりするので比較的容易に見つかるが、誤配は難しい。
届けた記憶があるので、果たして正しい銘柄をポストインしたかどうかとなると、思い出すのが難しい。
あの時、あのポストに、どの新聞を取り出して入れたっけ?
うーん。。
怪しげな配達先を思いついたら、急いで戻ってポストを確認する。
想定通りなら、配達をやり直して完了である。
しかし、見当違いであれば、捜索は続く。
とはいえ、朝刊の場合は特に、限界がある。
朝起きるのが早いお宅だと、早めに新聞を回収されてしまう場合もある。
こうなると探し出すことが困難になる。
なお、そもそも入れてしまうと取り出せないポストの場合は、その時点でツミ。。
結局探し出せず、不着、誤配のまま戻った日は、学校に行くまで電話番なのである。。悪夢だ。
お客様から連絡があったら届けに行かなければならない。。
誰でもミスは犯す。だって人間だもの。
とはいえ、繰り返せばお客様から信頼を失い、解約にも繋がりかねない問題である。
そんな不着、誤配に対して、無策で良いはずもなく、ある程度、探しやすくする対策を講じてはいた。
配達順路の定点を2、3決めておき、そこでの残り部数を把握しておく。
これにより、不着、誤配に気付けるポイントを増やし、捜索範囲を絞ることができるので、不着誤配の回避率を高めることができる。
それでも、ヤラかすときはヤラかす。
大抵、雑念が多い時にヤラかす。
どんな状況でも正確に配達する強いメンタルが求められる。
集金
毎月25日に訪れる重圧。
この日ほど憂鬱な日はない。
この日、大学から戻り、夕刊配達に出勤すると、販売所の一角に、ソレはある。
デンっ
と置かれた紙の束。
領収証の束である。
毎月毎月、これを見るたびに、
「は! 今日から集金か〜〜〜」
と、
受け入れ難い現実に、目と耳を塞ぎたくなる。
個人的に、新聞屋さんの業務の中で1番嫌いだった。
銀行振込を利用してくれたり、お店に直接支払いに来てくれたりする方もいるが、そういったお客様は、ごく僅かな固定客のみ。
大抵のお客様は、普通に集金が必要になるのだ。
全てのお客様が、訪問したタイミングで家にいてくれれば良いのだが、そんなわけも無く、終わるまで、何度も足を運ばなければならないのが集金である。
なかなか集金できない手強いお客様の場合は、曜日や時間帯を様々変えたり、電話連絡してみたりするのだが、本当になかなか会えない。
「お!窓に灯りが!」
やっとの思いで在宅を確認し、やっと集金できる!と歓喜雀躍してピンポンしたら、
「今来られても金ねぇよ!」
とキレられたこともある。
正直、心の中では
「いや知らねーし!」
と怒り心頭なのだが、ここはグッと堪えるしかない。
この場合、支払い可能な日を確認して、再訪問するのだが、これがまたその日に居ないことの多いこと多いこと。。
まあ、とにかく大変なのである。
もちろん、そんな厄介なお客様ばかりでもなく、前もってすぐに支払えるように準備しておいてくださる有難いお客様もいらっしゃる。
四半世紀が経った今でも、脳裏に焼き付いて離れない思い出がある。
その方は、とにかく、学生さんに二度手間させてはいけない!申し訳ない!と、どんなにタイミングが悪くても支払いを優先して出てきてくれる方だった。
ある月の集金。
電気はついているが、ピンポンしても珍しく反応がない。
いつもはすぐに反応があり、出てきてくれるのだが、この日ばかりは不在の様子。
なんと珍しい。。今月の集金はツいてない。。
そう思いながら、出直そうとしたその時、ドアの奥のさらに奥の部屋の方から、
「新聞屋さ〜ん? ちょっとまって〜!」
遠くから叫ぶ声がした。
良かった、どうやらご在宅のようだ。
なにやら、ドタドタ家の中を歩き回って、慌てている様子。
「ちょっと。。まって〜」
なんか慌てさせてしまってる。。申し訳ない。
「タイミング悪ければ出直しますよー!」
ドア越しに申し出たが、返答はない。
ただドタドタしている。
そうこうしているうちに、ドタドタ足音がドア越しに近づき、ドアノブがガチャガチャし始めた。
よかった集金できそうだと安堵していると、やっと鍵が開き、ドアが開いた。
「ごめんね待たせてー!
お風呂入ってたんだわ!」
そこには、腰にタオル一枚巻いただけの、
トップレスの女性が仁王立ちしていた。
ドーン
という衝撃が目から入ってきた。
「ばあちゃんだから、平気だべ?
がはははは」
いえ、平気じゃないです。
忘れられない19歳の夏となった。。
目のやり場に困りながら、お金を受け取り、お釣りと領収証を渡した。
終始苦笑いで凌いだその時間は、長久の歳月を思わせた。。
なにはともあれ、一回で集金が済むお客様は本当に有難い。
しかし、なかなか集金に手こずるお客様も、様々事情があってのこと。新聞を購読してくれているだけで有難いじゃないか。
と、
ついつい愚痴をこぼしてしまう自分に言い聞かせ、お客様との様々なドラマを紡ぎながら、毎月の集金を乗り越えるのであった。
笑えないセールスマン
セールス。拡張とも呼ばれていたが、俗に言う新聞の勧誘である。
とは言っても、ここの販売所でボクら学生が任されているのは、主にシバリとオコシだった。
現在購読中のお客様に今後も継続してもらうのがシバリ。
この後は他紙の契約が入っているの!と言われたら、その後にぜひ!と、その先の契約をもらうのがオコシ。
拡材と呼ばれる洗濯洗剤やサラダ油などの粗品を武器に、なんとか契約を貰ってくるのだ。
嬉しいのは、セールスの成果によっては臨時収入が入ることだった。
契約の種類や期間によって、ちょっとした報酬が貰えたため、みんな張り切って頑張った。
金欠の苦学生にとって、まさに命綱とも言える臨時収入のチャンス。
ちなみに、今まで一度も購読されたことのない新規のお客様への契約の場合、報酬は桁違いだ。
ただ、飛び込みでのセールスは学生にはハードルが高く、また、スペシャルな拡材が必要になることも多く、ボクら学生にはなかなか機会が無かった。
ただ、一度だけミラクルが起きたことがあった。
配達中、引越しに遭遇したのだが、なんと、
その方がウチの新聞のご贔屓さんで、配達中のボクを呼び止めたのだった。
明日から入れて!と言われ、予期せず新規の一年契約を取れてしまったことがある。
その時は、諭吉さんがボクの財布にやぁやぁと入ってきて、だいぶ生活が潤ったことを記憶している。
それだけ獲得が困難なのが新規契約なのだが、販売所としては、一つでも多くの新規契約を獲得し、部数拡大を計っていかねばならない。
そんな新規顧客開拓のため、販売所では、拡張員と呼ばれる新聞セールスのプロフェッショナルなオジ様やオバ様達を定期的に招集し、配達区域内に放つ。
彼らはスペシャルな拡材を駆使し、一日中走り回って新規契約をもぎとってくる。
しかし、そんな彼らでも新規契約は厳しく、時にはスペシャルな拡材を消費しながらも、新規ではない、シバリやオコシの契約を取ってきて、所長の逆鱗に触れることもあった。。
スペシャルな拡材とは、野球の観戦チケットやビール券などで、シバリやオコシで使ったら大赤字なのだ。
さて、彼らが挙げてきた契約については、そのまま鵜呑みにできない。当然だが、契約者本人への確認を行う。
拡張員の中には、契約者と同じ苗字の印鑑を購入し、契約書を自分で書いて偽造する輩もいたため、しっかり確認する必要があった。
ソレをするのは、ボクら学生だった。
挙げてきた契約について一軒一軒、ボクら学生が電話をかけ、契約の御礼を申し上げつつ、契約内容に間違いがないか、契約者に直接確認する。
すると案の定、
「ぁあ!?そんな契約した覚えはねぇ!」
とか、
「え!?断ったのに〜」
などと怒られ、契約不成立になるものもあった。
そんな確認作業で、異彩を放つ学生がいた。
癖の強い隣人。イシダ先輩だ。
彼レベルになると
「ウホ ココとってきたの?すげぇじゃん。」
とか
「ここ難しいんスよね〜 やるジャン♪」
とか
「はいだめー、契約してねーって。
ちゃんと契約とってこいよ〜」
とか
「一日中回ってこれだけ?少ね〜な〜」
などと、年配の拡張員相手に、
オマエは所長か!?
と、
身内ですらツッコミたくなるような態度。
正直みんな感心を通り越して、ヒイてた。
主任ですら、ヒイてた。
彼のは行き過ぎだが、新聞屋さんのこんなところで、電話応対スキルが知らず知らずのうちに身についていった。
折り込み広告の真実
販売所の大きな収入源は、当時、所長によると、新聞そのものよりも、折り込み広告なのだとか。スーパーの特売日や、パチンコ店のイベントのお知らせなど、さまざまな広告チラシが、配布日指定で持ち込まれる。
新聞販売所にいると、少し早めにお得な情報をゲットできるようにも思えるが、早めに目にしたチラシで何か得をしたことがあったかと言うと、
無い。
さて、チラシは配布日の前日にまとめ、翌朝刊に組み込んで配達する。
最大の広告効果を発揮するために配布日が指定されている。当然、配る日を間違えることは許されない。
ある時、その日配るはずのチラシが、別の配布日のチラシに紛れてしまい、危うく
指定日に配られない
という事態に陥りそうになった。
幸い、朝刊配達の準備中に気づいて事なきを得たのだが、そのチラシを朝刊に追加で入れ込むという余計な作業が発生し、配達自体が遅れた。
そんな取り扱い注意な折り込み広告のチラシだが、チラシが一枚だけということは稀である。
大抵は様々な広告チラシが複数枚あるため、それらを一つの束に組み上げる作業が必要になる。
チラシの枚数によっては結構大変なのである。
平日はパートのオバ様たちが折り込みチラシを組んでいるが、夕刊の無い日曜日は、朝刊配達後に学生たちで組んでいた。
あと、パートのオバ様出てこな〜い的なときも、駆り出されることがあった。
さて、新聞の折り込みチラシは、「折り」と呼ばれる半分に折ったチラシに、残りのチラシを挟み込んでまとめる。
この作業は折り込みマシンが行なってくれるのだが、当時のマシンの能力上、1つの「折り」には8枚程度のチラシを挟むのが限界であった。
このため、チラシの種類がそれを上回る場合、マシンを複数回回して、チラシの束を複数束作り上げることになる。
折り込みマシン1回戦目
→チラシ束①が作成される
折り込みマシン2回戦目
→チラシ束②が作成される
…
折り込みマシンn回戦目
→チラシ束nが作成される
と言う具合に、それぞれ異なる構成のチラシ束が作成される。
マシンが作成したチラシ束は、都度手作業で綺麗に整える必要がある。そして、複数の束ができた場合は、こちらも手作業で1つの束に纏める必要がある。
また、マシンも万能ではない。
同じチラシが流れて複数枚入ってしまったりもする。これをチラシがナガレると言う。
これは人の目で確認して排除していくしかなく、
チラシの束を整えたり、複数の束を組んでいる最中に見つけた人が、マシン担当に報告する。
マシン担当は都度、極力チラシがナガレてしまわないようにマシンを微調整しながらマシンを運転する。
こんなことをグダグダ説明しても意味不明かも知らないが、よくわからないけど大変そうだ。的なイメージをして頂けたら幸い。。
繰り返しになるが、チラシの枚数が多いときの折り込み作業は過酷なのだ。
新聞屋さんの仕事納めは、元旦用折り込みチラシ作りなのだが、元旦のチラシは、鬼のように多い。
平均5〜6回戦以上マシンを回し、5〜6種類以上の折り込み束を一つにまとめ上げる必要があり、作業は半日に及ぶこともあった。
元旦は新聞だけでも分厚いのだが、これに分厚い折り込みチラシを組み込むと、もはや分厚い板にしか見えない重く分厚い新聞となる。
配達もとんでもない事になるのだが、それは後ほど。。
このようにして、いつしか「紙」の扱い方が身についていくのだが、紙の扱い方が、今後の人生で役立ったことは、
あまり無い。