【4. 日常編】新聞奨学生で、自力で大学へ通ってみた

2022年11月26日土曜日

お父さんの思い出

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ふり返るあの頃「新聞奨学生」

続・二〇世紀末頃の新聞奨学生事情。

普通の学生とは違った孤独な大学生活!?や休日の過ごし方に迫る!

そして、そのお財布事情は!?

から続く。

この記事で判ること

    新聞奨学生の

  • 意外なお財布事情
  • 切ない大学生活
  • 少ない休日の過ごし方


新聞奨学生の大学生活

配属からの1ヶ月弱。粗方基本の業務を習得。

4月にはいよいよ大学へ入学し、本格的に仕事と学業の両立が始まった。

キャンパスライフ

と聞くと、華やかなイメージが湧く。

しかし、新聞奨学生のそれは華やかというよりは、色的にはグレーだ。

どっちかというと修行色が濃い。
(あくまでボクの場合)

サークル活動的なことにも参加できず、講義以外の時間で学友と共通の時間を過ごすことは難しかった。

器用で社交的な人間なら、新聞奨学生をしながらもキャンパスライフを満喫したのかもしれないが、ボクは社交的でもない。

仕事の合間を縫って友達と親睦を深めたり、サークル活動に参加してみるという余裕は全く無かった。

以前の記事で書いた通り、夕刊配達に間に合わせるべく、基本的には3限の講義が終わるとすぐに販売所へ帰還する必要があった。

言ってみれば既に、

新聞配達サークルに所属

しているようなものなのだ。

それ以外に割ける時間と体力は無かった。

このため、大学内で友人と呼べる人間関係を築くことはできなかった。

しかし非情なもので、大学生活というのはグループでレポートを出したり、なんやかんやで一匹狼ではやっていけない側面もあった。

当たり前だが、特殊な状況下で進学している学生へのフォローは

無い

に等しかった。様々な場面で困った。

そして、友達がいないからと言って、手をこまねいていても、虚しく単位を落とすだけなのである。
時には面の皮厚く、すぐ側にいる人を頼るしかなかった。


え。。?

っと困惑されながらも、仲間に入れてもらい、単位習得のために協力者を作った。
多少強引な渡世術が、否応なしに身についていった。

必要最低限の友人、いや、友人未満ほぼ他人という人間関係を数人、かろうじて構築していった。

そんな薄い人間関係なので、ある時、僕から話しかけると、

「あれ? キミだれだっけ?」

などと言われる切ない一幕もあった。

あまりの薄い付き合いが気に入らなかったことによる嫌味なのか、マジで忘れられたのかは定かでは無いが、ショックちゃぁショックだった。

とはいえ、そんな薄い人間関係のボクに付き合ってくれた数少ない方々には感謝しかない。

ここだけ見ると、新聞奨学生というのはなんとも孤独で寂しいものだと思われるかも知れないが、そんな側面ばかりでもない。

販売所にもどれば、共に働く同じ境遇の学生仲間がいたし、仕事と学業の両立に挑む中、その程度のことで感傷に浸っている暇も無かった。

新聞奨学生の休日

さて、普通の学生に比べ、過酷な日常を送っている新聞奨学生だけに、休日は貴重である。

新聞奨学生の満足な休みは僅かだ。

朝夕の配達をまるまる休める大学の4限受講日以外では、夕刊配達が無い日曜日と、朝刊配達が無い月1回の休刊日がある。

また、この時は販売所の学生達が揃って休める瞬間でもある。

販売所の学生達は、朝は朝刊配達に始まり、朝夕食から業務終了まで、365日ほぼ毎日一日中顔を合わせているので、もはや兄弟のような感覚だ。

そんな親友というか、戦友と言っても過言ではない仲間達と過ごしたひとときは、短くとも濃密な思い出となった。

販売所の仲間たちとは、

ボーリングに行ったり

カラオケに行ったり

夏はキャンプに行ったり

冬はスキーやスノボをしに行ったり

雑談で朝方までファミレスに居座ったり

はい。
ちゃんと学生らしく遊んでました。

新聞奨学生と言えど、辛く切ないことばかりではないのだ。

また、夏休みには販売所の配慮で、休みを繋げて帰省にあてることもできた。

2泊3日程度だが、年に一度の帰省チャンス。

旅費を貯めておき、旧友に会ったり家族との時間を過ごすことができた。

極めつけは、新聞奨学生を4年間頑張った学生に新聞社から贈られる海外旅行があった。

当然、その期間は販売所の皆さんにご協力頂き、お休みをだいぶ調整してもらって旅立つことになる。

今でもこんな海外旅行のプレゼントがあるかどうかは知らないが、これは本当に嬉しかったし、今でも貴重な経験として活きている。

過酷な生活の中の貴重な休みだからこそ、得難い思い出と経験となって今に残っていると思う。

新聞奨学生のお財布事情

新聞奨学生はお金が無い。

だって、奨学金貰わなければ学費を工面できないのだから。


思われているかもしれないが、これは一概にそうとも言えない。

選んだコースにより新聞社から支払われる奨学金は決まっていたので、通う大学の学費の額によっては、奨学金が余る場合もある。

余った奨学金はの使い道は


自由だ。


比較的、学費のかからない大学へ進学している学生は、

奨学金は余るわ

毎月給料は出るわで

お金貯め放題♪

なのである。

こうした学生の中には、2年間の新聞奨学生をやって3、4年次分の学費まで貯めて、3、4年次は普通の大学生として勉強に専念する人もいた。

もちろん、4年間新聞奨学生を続けて、貯まったお金で車を買うなど、贅沢に使う学生もいた。

ボクからすると、なんとも羨ましい限りだった。

ボクの場合は学費がとっても高く、奨学金だけでは足りなかったため、給料からも毎月天引きされていたし、さらに悪いことに家庭の問題で

実家へ仕送りしていた。

なので、毎月ギリギリの生活を強いられていた。

まったくお金が貯まらないのである。。

フツー。仕送りって、親が子供にするものだが、

うちの場合は、ボクから親へ仕送りが必要だった。

この辺は後述することになるが、

ボクは他の新聞奨学生よりも金銭面ではだいぶ大変だった。

それでも、やり抜くしかないのだ。

あまりにお金が無さ過ぎて、半年に1回しか散髪に行けなかった。

時代は小室ファミリー全盛期だというのに、80年代のロン毛のフォークシンガーみたいな風貌になっていた。

それでも、やり抜くしかないのだ。


つづく

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プロフィール

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40代、二児の父親です。 北国育ちで在住。寒いけど冬が美しいので北国が好きです。 思い出や、日常に思ったことを書き留め、それが誰かの何かの足しになったら、こんなボクの人生にも意味があったというもの。 「クスッ」としてもらえたら幸いです。

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